こんにちは。
唐突ですが、今日は数学力について書いてみたいと思います。
数学力がつかない、あるいはなかなか伸びないと、悩んでおられる方は多いのではないかと思います。
では数学力っていったい、どんな力なのでしょうか。
数学の成績が思うように伸びないから、数学の勉強を重点的にやらないといけないかな、と思った時、大抵の方は、まず基礎部分から、と考えて、その章で必要な基本的な計算問題からやりこんで定着させよう、と考える人が多いのではないかと思います。
計算問題は算数や数学をやる上で最低限持っていなくてはならないものですから、それは間違いではないのですが、考え方として、
『計算力は算数や数学を解く上で最低限必要なものではあるけれど、数学の基礎ではない』
ということを忘れないでおいていただきたいと思います。
これはどういうことかというと、わかりやすく英語に置き換えて考えてみましょう。
アルファベットを書ける、あるいは読めるようにしておくことは、英語の長文を理解したり、自分で英作文をしたりする際に最低限必要なことではあるけれど、アルファベットが書けるからといって英語の長文読解力がつくとか、英作文力がつく、あるいは英文法がより理解できる、といったものではないはずです。
それと同じように、いくら高度な計算が早く正確にできるようになっても、すなわちそれが数学力の向上につながる、ということではない、ということです。
つまり計算力と数学力は別の次元のものだと言っても過言ではないでしょう。
では数学力って何、と言われたときに、どんなに工夫をしても、時間をかけても数学力が伸びなくて困っている、という人を見てみると、意外にこの『数学力って何』ということ自体が理解出来て居ない人が多いように思います。
わかりやすく言うと、
数学力=論理的思考力
だと思います。
それなら、論理的思考力って何、というと、
論理的思考力=物事の理屈を理解し、他者にわかりやすくそれを示すことができる力
ではないかと思います。
ところで、物事の理屈を理解するためにはまず、その物事のいきさつ(背景)や、こじれた原因、そして何をひもとけば解決に至るのか、といったことを把握できなければいけません。
それらを把握するには、言語的に相手の言っていることや書いてあること(問題文)を正確に、かつすばやく理解することが出来なくてはなりません。
ということは、数学力、つまり論理的思考力を身に着け、伸ばしていくためには同時に言語的な理解力と、導き出した理屈を問題定義者にわかりやすく説明する発信力がなければいけない、という結論にたどりつくわけです。
いくら速やかに計算が出来ても、公式をすべて暗記していても、そもそもその物事をわかりやすく説明し、相手が求めている答え(解決してほしいポイント)を正確に読み取った上で的確にそれを投げ返す、ということが出来なければ的外れな計算をしているだけ、あるいはそこではしなくても良い計算をしているだけになってしまいますから、当然求められている答えは出せるはずがありません。
ではその言語的な理解力や発信力を身に着けるためにはどうすればよいのか、というと、日本人であれば日本語力を身に着ける必要があり、その日本語力は文章の多読や作文の練習など、いわゆる国語の授業で習っているようなことを積み重ねていく、ということになります。
そうです。
数学力をつけたければ、まず国語力を伸ばしてシンクロさせないと中々効果があがらないのです。
そこにあまり気付く人は多くはありませんが、たまたま結果的に、もともと数学に苦労しない、という人の成績を見てみると、必ずといっていいほど国語の成績も良いと言えます。
そして、国語の成績がなぜ良いかというと、もともと幼少のころから本が好きでたくさんの書籍を読んでいたとか、毎日日記をつけていて作文を書くことが好きだ、という人が多いです。
それが期せずして数学に活用され、たいして苦労していないが数学の成績も良い、という結果を得ている人が多いので、数学の成績が良いから数学はどうやって勉強しているの、とそういう人に尋ねると、
「いや、これといって熱心に勉強した覚えもなくもともと何となく得意なだけです。」
という答えが返ってくることがほとんどだと思います。
ですから数学が伸び悩んで困っているんです、という方は明日からまず国語の読解力をあげ、日記や作文などをたくさん書いて文章力をあげる試みをしてみてください。
今以上に数的処理にフォーカスしなくても、数学力がのびていくことがきっと実感できるでしょう。