アレクサンドロス大王の東方遠征と東西融合政策
たった15分で要点を総ざらい!受験に役立つ世界史ノート(練習問題付)

世界史

はじめに

 受験生のみなさんの中には一問一答や用語集を使って勉強をしている人も多いと思います。確かに一問一答は点数に直結しやすく、受験生必須のアイテムではあります。しかし、中にはただ単語を繰り返し覚えるだけで苦痛に感じる人や、覚えてもすぐに忘れてしまうという人もいるのではないでしょうか?

そんな人こそ、もう一度“流れ”を理解しなおすことが必要なのです!

 ここでは、点と点が線となるように、基礎的なことからやや踏み込んだことまで、「なぜそうなったのか?」が分かりやすいようにまとめました。

最後の練習問題で満点を取れるように頑張りましょう!!

古代ギリシア世界
1. 地中海世界とは?
2. エーゲ文明
3. ポリスの成立
~コラム・アテネの名所~
4. アテネ民主政
~コラム・アリストテレスとポリス~
5. ペロポネソス戦争
6. マケドニアの台頭とヘレニズム時代
7. 練習問題を解いてみよう!

 

古代ギリシア世界 Part3

5. ペロポネソス戦争

 スパルタは紀元前550年頃に、軍事協力を目的としてペロポネソス半島諸ポリスを集め、ペロポネソス同盟を結んだ。そして、ペルシア戦争後勢力を強めたアテネを脅威に感じたスパルタと、アテネが紀元前431年に衝突し、勃発したのがペロポネソス戦争である。

 ペロポネソス戦争はアテネを中心とした民主政ポリスと、スパルタを中心とした貴族政ポリスの対立という構図になったが、結果、ペリクレスを失ったアテネはペルシアと手を組んだスパルタに敗れた。その後も、エパメイノンダスの活躍でスパルタを破り覇権を握ったテーベや、のちに勢力を復活させたアテネなどの有力ポリスの間で争いが起こり、ギリシア世界は不安定な状況が続いた。また、それらの戦争の中で主戦力がポリス市民軍から傭兵にとって代わられ、ポリス市民の団結も弱まっていった。

 

6. マケドニアの台頭とヘレニズム時代

 ペロポネソス戦争以降のポリスの変容と混乱の中で大きな転換点となったのが、元前338年カイロネイアの戦いである。

 ギリシア世界では多くの都市でポリスが形成されたが、ドーリア系ギリシア人の王国、マケドニアは独自の発展を遂げていた。紀元前4世紀半ばに国を治めていた国王フィリッポス2世はマケドニアの軍事的・文化的発展に大いに貢献した。また、彼は紀元前338年にカイロネイアの戦いでアテネ・テーベ連合軍を破り、スパルタ以外の全ギリシア都市を集めてコリントス(ヘラス)同盟を結成する。ここで、マケドニアがギリシア世界の新たな覇権国となった。

6.1 アレクサンドロス大王の東方遠征

 フィリッポス2世の死後、彼の遺志を継いだのが子であるアレクサンドロス大王であった。彼はペルシア征服を目指し紀元前334年からギリシア軍も従えて東方遠征を始め、10年ほどで東地中海沿岸部からインド西北部に至る大帝国を築いた。

〔アレキサンドロス大王〕

<東方遠征の流れ>
B.C.334年 東方遠征開始
B.C.333年

イッソスの戦い 

 …ペルシア王ダレイオス3世を破り、エジプト征服

B.C.331年

アルベラの戦い

 …ペルシアを破る。アケメネス朝ペルシア滅亡

B.C.323年

アレクサンドロス大王、急死

 ※このころにはインダス川流域まで帝国を広げていた。

B.C.301年

イプソスの戦い 

 …帝国三分へ

 

 イプソスの戦いはディアドコイ戦争の一つであり、帝国の分裂を決定づけた戦いとして知られる。ディアドコイとは「後継者」を意味し、アレクサンドロス大王の死後、彼の後継者の将軍たちは大帝国の領土を奪い合った。その結果、アンティゴノス朝マケドニアセレウコス朝シリアプトレマイオス朝エジプトの三王国が分立することになったが、紀元前1世紀後半には三国ともローマ帝国の侵略によって滅亡した。

 アレクサンドロス大王の東方遠征開始から最も長く続いたプトレマイオス朝エジプトが滅亡する紀元前30年までの300年は「ヘレニズム時代」と呼ばれる。

☆アレクサンドロス大王の政策

 アレクサンドロス大王は東方遠征によって、それ以前には例を見ないほどの広範囲にわたる大帝国を築いたが、その成功を支えたのは彼の東西融合政策であった。

  • 東方文化の尊重
     まず彼は、ペルシアを滅ぼしたが全面的に制圧・弾圧をするのではなく、東方の文化や政治制度を尊重した。アレクサンドロス帝国においては東方的専制君主政がとられていた。
  • コイネーの使用
     言語も「コイネー」と呼ばれる共通語に統一した。コイネーは現代ギリシア語の起源であり、『新約聖書』もコイネーで書かれるなど、その後のヨーロッパ世界にも大きな影響を及ぼした。
  • マケドニア人とペルシア人の通婚を促進
  • アレクサンドリア市の建設
     彼はオリエント地方にも積極的にギリシア風の都市を建設し、ギリシア人の東方地域への移住を促した。その中でも最も繁栄したのがアレクサンドリアであり、後にプトレマイオス朝エジプトの首都として栄えた。

7. 練習問題を解いてみよう!   

☆基礎問題

  1. エーゲ文明は前半と後半に分けられるがそれぞれなんと呼ばれる文明か。
  2. 古代ポリスにおいて、ギリシア人は自分たちと異民族で異なる呼び方をしていた。それぞれ答えよ。
  3. ポリスにおいて、国防の中心となった平民を何と呼ぶか。
  4. アテネ民主政時代、クレイステネスが僭主の出現を防ぐため行った制度は何か。
  5. B.C.431年、アテネを中心とする同盟とスパルタを中心とする同盟が争った戦争は何か。

…………………

(解答)

  1. クレタ文明/ミケーネ文明
  2. ヘレネス/バルバロイ
  3. 重装歩兵
  4. 陶片追放(オストラシズム)
  5. ペロポネソス戦争

 

☆ステップアップ問題

  1. スパルタで主に商工業に従事していた不完全市民(劣格市民)を何と呼ぶか。
  2. ペイシストラトスはどのような立場の人々の保護に努めたか。
  3. 『歴史』でペルシア戦争について物語的に書いた古代ギリシアの歴史家は誰か。
  4. B.C.301年アレクサンドリア帝国の分裂を決定づけた戦いを何と呼ぶか。
  5. アテネでは人口の何分の一が奴隷であったか。

…………………

(解答)

  1. ペリオイコイ
  2. 中小農民
  3. ヘロドトス
  4. イプソスの戦い
  5. 3分の1

→続きはこちら 古代オリエント世界とは? 

参考文献:

  • 木下康彦・木村靖二・吉田寅編『詳説世界史研究 改訂版』、山川出版社、2018年
  • 浜島書店編集部編『ニューステージ世界史詳覧』、浜島書店、2011年
  • いらすとや
    • 最終閲覧日2019/12/20

 

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