今日は、日々の学習の中で音読することがいかに大切か、ということについて書いてみたいと思います。
音読というのはなかなか自宅学習の際にやるものではないと思いますが、近年、国語の長文問題や英語の長文問題においてこの音読を行うことの効果が注目されてきています。
音読と言うのは、その言葉の通り「声に出して読む」ということを指しますが、国語にしろ英語にしろ、声に出してそこに書いてある文字を読むことによって次のような複数の効果が期待出来ます。
言葉というのは、読む・書く・聞く・話す、の4つの技能の全て使いこなして初めて自分のものになります。
本や文章題を読んでいて、何度読んでも字面だけ追っていてなかなか頭に内容が入って来ないとか、そんなに難しい表現で書いてある訳ではないのにどうもすっきりと理解が出来ないといった経験を、誰しもお持ちなのではないでしょうか。
そういった時に、おそらく「全部が頭に入って来ない訳ではないけれど、一部どうしても頭に入って来ない部分がある。」という状態が発生することはよくあるものです。
ではその一部は何なのかというと、おそらく言葉として上記の4つの技能の全てを経験として経ていない、ということなのだと思われます。
馴染みのある言葉のつもりでも、文字でしか読んだことがない言葉だと、平面的にしか触れたことがないため「本当に」その言葉を理解しているとは言い難いのです。
また、人間は一度読んだことのある言葉や、一度聞いたことのある言葉が耳や目から入ってくると、初めて見たり聞いたりする言葉よりも素早く理解できる脳の構造を持っています。
そして、その人が発する言葉や書く言葉は必ずと言っていい程、その人が一度以上読んだり聞いたりしたことのある言葉なのです。
見たことも聞いたこともない言葉を話したり書いたり出来る人間はいません。
つまり、言葉を立体的に理解するということは、その言葉を自分のものにするための最低限の条件ということになると思います。
受験においても、国語の長文問題や英語の長文問題はそんな言葉の羅列なのですから、その中で自分のものになっている言葉の比率が多ければ多いほどその文章全体の理解度があがる、ということになります。
そして、理解度があがる、ということは正しく理解出来ている部分が多いということになりますから、つまり結果として問いへの正答率が上がる、ということになる訳です。
算数や理科など、数値をはじき出す要素の多い教科では、沢山の作業を繰り返し行うことによって自身がその事象を体得し、問いに対して正答出来るようになるのですが、国語や英語の場合はそのはじき出すべきものがないため、何をどうやったら正答率があがるのかがわかりにくく、学習のしかたの工夫に苦労している人も多いのではないでしょうか。
算数や理科における沢山の作業を繰り返し行うことと同等の結果を導く行為が、国語や英語においては多読(=文字を視覚的に沢山入れ込む)であり、音読(=文字を音声的に沢山入れ込む)なのです。
もちろん、本番の試験や模試、大勢が座っている塾の教室などではこの音読を行う事は許されない場合もありますが、少なくとも自宅で学習している時には,必ず音読をしておいて悪い結果になることはまずありえません。
そして読み慣れてくると、次第につっかかることが少なくなって、初めて見る言葉であっても滑らかにスラスラと読める自分を発見することになるでしょう。
そうなってきたとき、自分は言葉を操れる状態になったのだと言って良いと思います。
言葉を操れる時、その言葉はその人の中で魂を持ち、生きたものとなってメッセージ性を持ちます。
メッセージ性のある言葉は、ただ書いただけでもその人の意図が相手に存分に伝わるのです。
つまり、音読を積んで言葉を操れるようになれば、記述問題の解答でその人が書いた言葉が生きて採点者に伝わることになりますから、当然満点でないとしても高得点の可能性が高くなります。
結論を言うと、教科としての国語も英語も、元を正せば人間同士のコミュニケーションの道具である『言葉』なのですから、伝える力を秘めていないとそこには何も相手に伝わるものが含まれないことになります。
よって、4技能をバランスよく、かつそれぞれの技能を出来るだけ沢山経験して、言葉を立体的に自分のものにし『生きた言葉』として発したり書いたり出来るようにしておくことが受験勉強においても最も重要なことである、と言いたいのです。
皆さんもぜひ、受験のみならずその後も人生のあらゆる場面においても役に立つ『本当の言葉』を音読によって身につけてみてください。