「当たり前を当たり前に実行できる人に、自分もなりたい」講師が振り返る、上手い講演

これでもあなたも説明上手?; 説明がうまいと思ったエピソード集

 学校の行事で退屈さ1、2を争う行事「講演会」。
確かに、講演を聞く生徒側からするとゲストスピーカーの話はある種の自慢話であったり、何度も言われてきた格言のオンパレードであったりと、退屈に思う気持ちもわからなくありません。
では、今回の記事に登場する講演はどのようなものだったのでしょうか?スピーカーのお手並み拝見です。

晴天の霹靂

私が今までの人生の中で説明が最も上手いと思ったのは、高校生の時に聞いた講演です。

私が通っていた高校では月に1度、著名な方をお迎えし、全校生徒に向けて講演を実施していました。講演の内容は、今自分はどのような職業に就いていて、これからどのようなビジョンを持っているかについて話すというものでした。

大抵の講師は自分の専門とする分野について専門的な用語を使って自分の職業はどんなものであるかを説明し、自分の思い描いているビジョンをこれまた専門的な用語を使って説明していました。

そのため、専門的な分野をまだ持たない私たち高校生からすると、自分とは違う誰かの話をただ淡々と聞かなければならない、あえてマイナスの言い方をするなら、面倒な時間でした。講師の話は長いし、訳がわからないし、聞いていなければ担任の先生に注意されるし、という具合に。

そんなことを感じている中、その日はやってきました。またいつものように自分とは違う誰かの話を聞く退屈な時間が開始すると思っていました。そんな心持ちで、講演は始まりました。

異変

いつものように校長先生が講師はどういった人でこんなことをしている人だという定型文を聞いていました。そんなお決まりのセリフを聴き終えた後、その講師は話し始めました。

その講師はまず自己紹介をしました。自分はどこの会社に所属しているもので、その会社はどういうものでという説明を始めました。私はその時、また同じようなことが始まったと思いました。

しかし、その講師はそこから他の講師とは違いました。その講師は、自分の所属する会社を端的に説明し終えた後、自分がどういう人生を歩んできたかを話し始めました。今までの講師のように、現状を話し、今後のことを話すのではなく、自分の現状を話した後、自分の過去について話し始めたのです。

内容としては、簡単なもので、自分が小学生の時、中学生の時、高校生の時、大学生の時、卒業してから何をしていたかを面白おかしく話していました。その人が自分の生い立ちを話し終えた頃には、普段寝ているような生徒も眠気まなこではなく、はっきりと目を開いてその講師の話を聞いていました。

まだ、この生い立ちの話はその講師から言わせればまだまだ序の口で、ここからがその講師の本領が発揮されるのでした。

圧倒的違い

その講師は生い立ちの後、自分の仕事について話していきました。

一般的な講師なら、自分の知っている言葉は皆共通で通じるものだと思い、専門用語のオンパレードで自分の仕事がいかに偉大で、高尚なものかを高らかに話していたことでしょう。ただ、この講師はここも違いました。

まず自分の仕事について説明するのに長い時間を費やすのを嫌いました。自分の仕事は経営を手助けする仕事です、以上、というような具合に。

では、その講師は自分の仕事について何を話したのでしょうか。その講師は自分が経験した人間関係について説明しました。

その講師は日本でポストにつき、何年か経った後に、アメリカで何年間か働くことになりました。その講師はそこでの実体験を私たちに話してくれました。

それは、日本での上司の自己紹介とアメリカでの上司の自己紹介についてでした。「日本では、「この度、この部署の部長(課の課長)に就任したしましたAです。至らぬところは多々あるとは思いますが、ご助力いただければ幸いです。」といった具合にそのグループのリーダーをさせていただく、周りに支えられてもらっているというような考えを持つことが当然のように考えられています。」そんな導入で始まりました。

私はそこまで下手に出るかどうかはわからないが、礼儀としてそういった挨拶をすることは必要だろうと思っていました。

その講師はその後、このように続けました。「しかし、アメリカでは反対なんですよ。アメリカでは「今回君たちの上司になったAだ。これからは私のもとで働くことになる。私の方針に賛同できない場合はやめてもらっても構わない。」というように話すんですね。アメリカではリーダーシップが重要視され、いかにその人がリーダーとして認められるかは、リーダーとしての威厳を持っていると周りに思われるかどうかなんですね。」これに対し、皆が驚愕していました。もちろん、私も含めて。

今まで、自分たちが学校やその周囲で学んできた礼節を重んじることは日本でしか通じないことに違和感を感じながらも確かに面白いという興味を感じていました。その後もその講師はその講義で具体的な事例をあげながら、自分が経験した私たちが興味を持てるようなことを話し続けました。

その講師の話を聞き入っているうちに、気づけば講演の終了の時間がきていました。教室に帰ると私たちの間では、その講師の話で持ちきりでした。面白い講演をする人だった、今日の講演は寝ずに聞いていたと。その当時は面白い講師だったがなぜこんなにも面白いと思えたのか、その理由については何も考えていませんでした。

振り返ると

今私は生徒に授業をする講師という立場になりました。この立場に立ち、様々な障害にぶつかっています。

その中でも一番の障害はどのようにすれば生徒に授業で知ってほしいことを伝えることができるかでした。そんな障害を解決するにはどうすればいいかを考えているうちに、自分が今までで印象に残っている授業や話は何があっただろうか?という考えに変わり、この講演を思い出しました。

そして、その講演がなぜ面白いと感じられたのか、そこを追求するようになりました。その結果として、その講師とその他の講師との決定的な違いは高校生の立場になって考えることができているかであるという結論を得ました。

その講師は、その他の講師が専門用語を駆使して説明する一方で、専門用語を一切使わず、高校生でもわかるように話していました。

また、専門性を持っていない高校生に対して専門的なことを話すのではなく、汎用性の高い話をしていました

そうすることでより一部のコアな高校生だけでなく、高校生全般に響いたのだと思います。相手の立場に立つ、これは高校生相手だけに適用されるものではなく、すべての人と関わりを持つに際して必要となることです。

一見当たり前のように思われるようなことが一番大切であると改めて認識することになりました。

そんなことを当たり前のように実行できるような人に自分も早くなりたいと思うと同時に、これを読んでいただいた人の中から、そんな人になってくれることを願って筆を置きたいと思います。

この記事を書いた人