日本史を基礎から復習!「旧石器時代」はどんな時代?

日本史

0.たくさんの道具にあふれかえっている時代

 みなさん、今あなたの目の前にあるあらゆるものを見回してみてください。テレビ・パソコン・スマートフォン・電子辞書・プリンター・紙・鉛筆・シャーペン・電子レンジ・冷蔵庫などあらゆる文明の利器が目に入ると思います。

でも、みなさんにとってはそれがあるのはごく当たり前です。しかし、そうしたものが全くなかった時代がかつてあったということを知ってほしいのです。それは、現代に生きる人たちがあまりにも多くの当たり前を享受しすぎていて、本来は当たり前じゃないはずのものをなんのありがたみもなく手にしている状況があるからです。

実は今目の前にある当たり前が本当は実に有難いものであるということをわかってもらうために、旧石器時代のころの話をしてみたいと思います。

旧石器時代はどんな時代?

むかーし、むかし、まだ人類が金属の道具すら知らない時代がありました。金属がなければ当然、鉄の農具もありませんし、鉄の武器などもありません。それはもちろん、今の世の中に存在しているあらゆる機械など存在する余地もありません。今から何万年もまえのお話です。

その当時、人々は主に石で作った道具を使って生活していたため「石器時代」と言われています。「器」は「うつわ」じゃなくて「道具」という意味ですよ。そしてこの石器時代というのは、大きく2つに区分されます。それが旧石器時代新石器時代です。

それぞれの違いが何かと言いますと、旧石器時代は、石器は石器でも石を手で打ち欠いただけで荒々しく作った打製石器という石器を主に使っていた時代です。石をただ打ち欠いて作っただけでやり方が古臭いということで旧石器と名付けられているのですね。一方で、石を打ち欠くだけでなく、石の一部や全部を磨いたり研いだりしてより鋭く精度の高い磨製石器という石器を作っていた時代を新石器時代というのです。イメージしてみると磨いたほうが光沢も出るし、鋭さも出るし、新しい感じがしますよね。というわけで磨製石器を使っていた時代を新石器時代と言うのです。

だいたい時期としてはまだ氷河時代が続いていた更新世のころに旧石器時代が到来し、最後の間氷期を終えて完新世になってから新石器時代が到来したといわれています。

日本に旧石器時代はなかった??

日本では、だいたい約1万年余り前の完新世になって到来した縄文時代が、新石器時代にあたるとされています。そして長らく、日本には旧石器時代という時代が存在せずに、いきなり新石器時代がやってきて縄文文化を迎えることになったと考えられていました。

いつまでそう考えられていたかといえば、それは第二次世界大戦の直後までです。それは、縄文時代の遺跡は見つかるけど、旧石器時代の遺跡がまったく見つかっていなかったからです。しかし、ある人物が1946年(昭和21)年に群馬県の岩宿関東ローム層から発見したことをきっかけに、次々に全国各地から打製石器が相次いで発見されるようになったのです。

その人物こそが、相沢忠洋という昭和時代の考古学者の人です。彼は子どものころから考古学者になることを夢見て、毎日あちこちの山を歩き回って発掘調査を行っていたそうです。時には、周囲の人から変人扱いを受けてバカにされることもあったそうです。それでも発掘調査を続け、大人になっても好奇心を持ち続け、いよいよ打製石器を発見したのです。

それまでは旧石器時代など存在しない時代であると信じられていました。しかし彼の好奇心がその常識を覆したのです。一人の人間の好奇心が教科書の中身を変えてしまう。そんな人をみなさんにも目指してほしいものですね。

話がそれましたが、相沢忠洋による旧石器時代の遺跡発見から、日本の旧石器時代の存在が明らかになりました。相沢忠洋が旧石器を発見した関東ローム層は周辺の火山の活動によって噴出した火山灰が堆積・風化してできたもので、古い地層から順番に多摩ローム層・下末吉ローム層・武蔵野ローム層・立川ローム層と呼ばれる層をなしています。

その中には、箱根火山や富士山といった比較的近い火山の火山灰だけでなく、現在の南九州鹿児島湾を中心とした姶良カルデラから約2.5万~2.4万年前の更新世の時代に噴出したAT火山灰も堆積していて、それが旧石器時代を知る重要な手掛かりになっています。

日本の旧石器時代は炭素年代測定という自然科学年代決定法によって大きく3つの時代に区分されます。

一つは、今から約13万年以上前の前期旧石器時代、二つ目は約3.5万~13万年前の中期旧石器時代、そして三つ目は約3.5万年前以降の後期旧石器時代です。

自然科学年代法というのは考古学において暦のない時代の絶対的な年代を決定するための方法のことです。旧石器時代の3つの区分のうち、日本列島で発見される旧石器時代の遺跡のほとんどが後期旧石器時代のものとなっていて、今後は前期旧石器時代中期旧石器時代の遺跡の発見をすることが研究者の課題となっています。

ちなみに日本の石器時代の文化は、縄文時代や弥生時代のように土器をともなわない文化のため、無土器文化とか先土器文化と呼ばれたりしています。また、縄文文化に先立つ文化なので前縄文文化と呼ばれることもあります。

旧石器時代の人々はどんな生活を送っていたの??

相沢忠洋旧石器時代の遺跡を発見し、その後旧石器文化の研究が進んでいったことによって、少しずつ旧石器時代に生きていた人々の生活がわかるようになってきました。では、旧石器時代の人たちはどんな生活を送っていたのでしょうか。その様子をのぞいてみましょう。

旧石器時代の人たちは、主に野生の動物を捕まえる狩猟や、魚を捕まえる漁労、植物性の食べ物を摘み取る採取などを行って生計を立てていました。この時代にはまだ計画的に農業をやったり、計画的に家畜を育てたりとか、そういった長期スパンで生活していたというわけではないのですね。

今だったらみんなずっと家にいて、「お腹すいたなぁ」とか思ったらコンビニとかスーパーに行けば良いですが、昔の人はおなかをすいたら何としても動き回っている動物を捕まえたり、植物を摘み取ったりしなければいけませんでした。時にはずっと食べ物が得られない状況というのもあったことでしょう。まさにサバイバルの世の中です。

そんなサバイバルの世の中ですから、ある場所で食糧が得られないと判断すると、次から次へと住む場所を変えて生活をするということをしていました。だから、旧石器時代の人たちは定住生活ではなく、常に移動して生活できるように、柱穴を掘り簡単なテント式の小屋を建てたり、洞穴を見つけてそこを一時的な住処にしたりしていました。今みたいに高いお金を払って住む場所を一か所に決めちゃったらもしそこに食糧がなくなっちゃったら大変に困ってしまいますからね。旧石器時代の人たちは致し方なく放浪の生活を送っていたのです。

そして旧石器時代の人たちは決して一人で行動していたわけではなく、10人前後の集団でともに生活をしていたそうです。みんなで協力して獲物を捕らえ、みんなでその喜びを分かち合いながら同志として生活していこうといった感じですね。やはりこうしたサバイバルの世の中を一人で生き抜くのは大変ですからね。

さらにそうした10人前後の小集団がいくつか集まって、遠隔地から黒曜石などの石器の原材料を手に入れて分配するような部族集団もこの当時現れていたそうです。

狩猟では主に、ナウマンゾウ・ナウマンゾウ・オオツノジカなどの大きな動物を捕らえていました。これらの動物は比較的動きが鈍いため、旧石器時代の人たちは石器で作ったを使って狩猟を行っていました。

ちなみに縄文時代になると、大型動物が絶滅してニホンシカイノシシなどの比較的動きの速い中小動物が出てきて、なかなかでは捕まえられなくなって弓矢が発達してきます。

それはそうとしまして、旧石器時代の人たちが使っていたの作り方はいたって簡単です。長くて頑丈な棒の先端に、先がとがっていてナイフのような形をしたナイフ形石器や先端がとがっていて木の葉型をしている尖頭器などをひもで巻き付け装着し、完成です。あとはこれで獲物の急所を一突き。これで大型動物を捕まえられます。捕らえた動物はナイフ形石器で皮をはいで切り刻んでおいしくいただきます。

旧石器時代の終わりごろになると、より殺傷能力を高めていこうということで、ものすごく小さくて鋭利な細石器という石器を木の棒などにいくつもはめ込んでおいて、それで大型動物を一撃必殺で刺し殺すという技も用いられました。この細石器文化は、中国東北部からシベリアにかけて発達したもので、そこから北海道に伝わり、日本列島にも及んだものと考えられています。かれらの行う狩猟はあまりにも残酷であると思うかもしれませんが、これがかれらの生きる術です。背に腹はかえられないのです。

このようにしていつ自分たちが大型の動物たちに襲われて死んでしまうかもわからない、そんな生きるか死ぬかという時代の中で、旧石器時代の人たちはサバイバルに生き抜いてきたのです。

         

旧石器時代の遺跡を覚えよう!!

さて、最後に旧石器時代の存在が明らかになった遺跡をいくつか紹介して、旧石器時代の話を終えていきたいと思います。

まず、なんといっても最も有名なのが、群馬県にある岩宿遺跡です。1946年に相沢忠洋さんが関東ローム層の中から土器を伴わない黒曜石の剥片を見つけたのですね。これがきっかけとなって旧石器時代の研究が進んだというのは前述のとおり。

その後、1948年には長野県の野尻湖からナウマンゾウの化石が発見され、旧石器時代人々の生活を解明するきっかけとなりました。ちなみにナウマンゾウの「ナウマン」という名前は明治時代初期にこの化石を調査したドイツ人のナウマンの名前をとって命名されています。さらに1955年頃から北海道の白滝遺跡で多数の石器が発見され北海道の旧石器研究がすすむきっかけとなりました。

相沢忠洋岩宿遺跡発見から、旧石器時代の人たちの生活の様子が少しずつ見えてきました。

しかし、まだまだ旧石器時代の実体は未だにわからないことだらけです。これからさらに研究が進んで「旧石器時代というのは実はこんな時代だったんだぞ」という新しい発見や現代につながる気づきが生まれる余地があるというのが旧石器時代の一つおもしろいところなのかもしれません。

きっとこれからもっともっと旧石器時代の様子が明らかになってくるはずです。興味のある人はぜひ相沢忠洋のような探究心や好奇心をもって、その一端に関わってみてはどうですか。

参考文献

安藤達朗『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』,東洋経済新報社,2016, p22-p23

『詳説 日本史B』山川出版社,2017 ,p6-p7

向井啓二『体系的・網羅的 一冊で学ぶ日本の歴史』,ベレ出版,p23 -p24

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